船越半島を歩く
こんにちは、まるごとスクールのまる子です(・∀・)ノ
後半は事務局の他のメンバーと合流し、山田町大浦地区を中心に遺跡を歩きました。
左上の画像は、新道貝塚です。対岸に鯨と海の科学館が見えています。
新道貝塚は標高10mほどの低い場所にある縄文前期~後期の遺跡で、貝塚も見つかっています。
縄文時代(前期)ってどのくらい昔なのか、いまいちピンときませんが、
な、なんと・・・約6000年前だそうです。
その場所を発掘した際に黒い砂の層がみつかり、縄文時代前期の津波によって運ばれてきた土と考えられています。3.11の時も、この遺跡まで津波がきたそうです。
左下の画像は小谷鳥地区の写真です。
こちらの海岸で、新道貝塚と同じような黒い砂の層が3.11の後にみつかったそうなんですが、現在は護岸工事中で確認できませんでした。
右上の画像は遺跡の標柱ですが、川半貝塚です。ここも標高の低い場所にある縄文中期(約5000年前)の貝塚です。
右下は対岸から川半貝塚のあたりを撮った写真です。
近くにお住まいの方が案内してくださり、地面を見るとあちらこちらに縄文土器の破片が落ちていました。
縄文時代に作られ、当時の山田の人が使用していた土器を、
5000年を経て私たちが触れることができるって、なんだか不思議で素敵ですよね。
次回は、山田町での素敵な出会いについて書こうと思います。
へば、まんつ~(岩手弁で、それじゃあ、またね~)