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御秀全さま

こんにちは、まる子です。

第3回まるごとスクールは中止になってしましましたが、資料集は作ろうということになり、

現在、事務局のみんなで分担して山田町の遺跡や歴史について書いています。

内容は山田町の船越半島を中心に、縄文時代・弥生時代・古代・中近世についての予定です。

今回は、船越半島・大浦地区の御秀全さまについて少しご紹介します。

写真は山田町大浦地区にある秀全堂です。

この御堂は、大浦地区の人々に「おしゅうぜんさま」と呼ばれています。

秀全禅師が入定した場所とされ、入定された7月30日(旧暦6月12日)の前夜に「御逮夜」と呼ばれる供養行事が行われています。

秀全堂の前で読経し、山田煎餅を捧げるそうです。

この智芳秀全禅師という方は、1736年(元文元年)に大浦を訪れ、船越半島の東側突端、大網の岩屋で座禅や瞑想を行っていたそうです。

その後、火定(自身を火中に投じて入定すること)を行おうとしましたが、大槌代官所に保留措置とされます。

そこで、穴を掘り、土の中で座禅をしながら待ち続け、周囲の嘆願もあり入定の許可がおり、1738年(元文3年)27日間の苦行の後、6月12日、享年37歳にして西方に旅立ったといわれています。

御秀全さまは大浦地区と田ノ浜地区の一部でのみ信仰されており、山田町の中でも地区ごとで文化や習慣が少しずつ異なるというわけです。

なので、それぞれの地域ごとの特色だとかを勉強しなきゃ、山田町を学んだとは言えないかなと・・・

う~ん、山田町は奥が深い。

学べば学ぶほど、魅力があふれてきますね。

※秀全堂、秀全禅師については大浦郷土史研究会の会誌『大網』に詳しく書いていますよ!


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